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仲間 2004.12.19
ただいまっ!
今年もまた南の島“Hawaii”で、夢のような6日間をすごしてきました。
もちろん目的はホノルルマラソンです。今年は7人のフルマラソン組と3人の10kmウオーク組の10人の老若男女で賑やかに福岡空港を飛びたちました。
12月12日朝5時、ホノルルの街に豪華な花火が打ち上げられ、2万5千人の歓声と共にそれぞれの42.195kmが始まりました。私は3回目の参加ですが、これまでで一番練習不足だったので、とにかく完走を目標にスタートを切りました。始めは一緒に参加したAiちゃんとクリスマスイルミネーションを楽しみながら走っていましたが、5kmをすぎたあたりからそれぞれのペースで走りました。練習不足にもかかわらず、15kmあたりまでは、昨年より足が軽く調子よく走れました。昨年はダイアモンドヘッドのあたりで綺麗な朝焼けを見ることが出来ましたが、今年の風景は違いました。まだうす
暗く、昨年よりペースが速いことを実感しました。20km位から、始めにぺ―スをあげすぎたことを後悔するくらい足が重くなってきました。ちょうどその頃は早いランナーとハイウェイですれ違います。一緒に参加したメンバーを必死に探しながら走りました。途中、O先生とヒロとすれ違って元気をもらいました。おり返しを過ぎて25kmを過ぎると今度は私より遅いランナーとすれ違います。Naoちゃんと隊長とすれ違い、今度は私が声をかけました。苦しい時に仲間の顔を見るだけでも俄然元気が出てきました。35kmあたりからは、もう休もうかと何度も思いましたが、前日聞いた長谷川理恵さんの話の中で「42.195km、苦しくないはずないですよ。皆苦しいんです。でも皆頑張ってるんです。私一人じゃないんです。」っていう言葉を思い出して、ゴールで待っていてくれている仲間たちのことを思いながら、とにかく足を止めずに走りました。40kmまで来たときには嬉しくて汗と涙を流していました。ゴール前でO先生が「いいタイムですよ!」って声をかけてくださって本当に嬉しかった!ゴール直前では、母がしっかりカメラのシャッターを切ってくれました。昨年より36分タイムを更新して、5時間6分でゴールすることが出来ました。42.195kmの向こうには、また新しい感動が待っていてくれました。一緒に行った仲間も全員それぞれの目標タイムで完走しました。この感動を大好きな仲間達と一緒に味わうことができて本当によかった!
今年は練習不足だった私が予想外のタイムで完走できたのは、仲間の力のおかげだったと思います。苦しみも楽しみも一緒に走ってくれる仲間がいることは本当に心強くすばらしいことだと今年の42.195kmは教えてくれました。
皆、ありがとう!そしておめでとう!!!
走ること 2004.12.04
“走ること”を始めたのは、大学2年の頃でした。その頃バドミントン部に入って、部活が終わってからも必死で素振りの練習をしていましたが、やり方がまずかったのでしょう、右手首の腱鞘炎(けんしょうえん)をおこし、ラケットが振れなくなってしまいました。皆と同じ練習が出来ないのが辛くて一人で体育館の周りを走っていました。走っているといつのまにかそんな辛い気持ちを忘れていました。それ以来、何か辛いことや悲しいことがあると、いつのまにか走っている私がいました。汗と一緒に涙を流しながら走ったこともありました。走ることで辛いことを忘れようとしたのかもしれません。
27才の時、肝炎を患ってから、3年間は“走ること”も出来ない時期がありました。今考えると一番辛いじきでした。幸い、治療が効して肝臓は完全に良くなりました。それからは低下した体力を復活するためにウォーキングから始めました。だんだん体力が戻ってきたので、時々5kmのマラソンレースにも参加しました。走ることが出来るようになった喜びと嬉しさでいっぱいでした。
30代後半に、頑張っている1型糖尿病の患者さん達から刺激を受け、ちょうどその頃行った講演先での先生からのお誘いをいただき、フルマラソンに挑戦しようと思ったのです。自信は全くありませんでしたが、少しでも若いうちに自分の体力と精神力を試してみたかったのです。1年間と少しトレーニングを行い、2002年12月ホノルルマラソンに参加、6時間で完走することが出来ました。その時の感動と興奮は今でも忘れられません。ゴールした瞬間に達成感と感動で涙が溢れてきました。と同時に次の大きな目標が広がってきました。
それから2年、今のクリニックを立ち上げることができました。今の私の原動力は“走ること”から学んだのだと思います。上り坂や下り坂、マラソンのレースにはいろいろな坂があります。その時の体調によって同じ坂でも感じ方は違ってきます。でも、どんなに辛い坂であっても、足を前に踏み出せば必ず一歩前に進むのです。これまでの私の人生にもいろいろな坂がありました。これからももっと大きな坂があると思いますが、どんな坂でもマイペースで、楽しみながら走っていきたいと思っています。
いよいよ今年もホノルルマラソンが近づいてきました。練習不足が気になりますが、今年は今年のペースで、ホノルルの景色を楽しみながら、ゴールを目指して走ってきます!
V3のサインが出来ますように…
膵島移植について思うこと 2004.11.30
11月27日、当クリニックにて第1回ヤングセミナーを行いました。京都大学移植外科の野口洋文先生に”膵島移植”についてのお話をしていただきました。
野口先生のお話は、基本的な膵島細胞の働きから始まり、実際に京都大学付属病院で行われた移植風景を、動画を用いて、大変わかりやすくリアリテイーのあるものでした。患者さんたちは皆、身を乗り出して聞き入っていました。一人一人の質問にも具体的に丁寧に答えてくださいました。
また、御自身の黄色いドナーカードと携帯電話、運転免許証、保険証の裏に張ってあるドナー証明も見せていただきました。
個人個人で受け取り方は違うかもしれませんが、”膵島移植”という治療が、1型糖尿病の今最も新しい治療法であること、インスリン注射を離脱する、患者さんにとって最も侵襲の少ない手段であることは確かです。1日でも早くインスリン注射から解放されたい方、インスリン注射をしながら元気な生活を送っているので必要ないと思っている方、さまざまだと思います。わたしは、1型糖尿病治療の選択肢の一つとして今後考えていきたいと思っています。
私が1型糖尿病になった27年前、「一生インスリン注射が必要です」と言われました。つい数年前まで考えられなかったことが、実際の治療として行われています。”移植”は多くの患者さんに提供できる治療ではないので、実際私がどの選択をするかまだわかりませんが、いつの日かインスリン注射をしなくてもいいような、そんな夢のような日が来るのかも知れないという希望をもって生きることが出来るようになりました。本当に医学の進歩にはめざましいものがあると思います。ただ、その影には多くの医療者や表には出ない研究者の努力があることに、患者としてまた同じ医療者として感謝と尊敬の念を抱いています。
野口先生のご講演でもありましたが、移植医療はドナー(提供者)があってはじめて成り立つものなのです。我々1型糖尿病の患者は、膵臓以外の臓器のドナーにはなり得ることを忘れずに、そして、いただく命とご家族に感謝の気持ちを忘れないようにしたいものです。
そんなことを考えながら、財布から、5年前にかいた黄色のドナーカードを見つめました。私の署名の下に母の署名が記してあります。この母の気持ちを大切に、今ある生命を精一杯生きていこうと思いました。
京都大学移植外科膵島移植のホームページ
http://www.kuhp.kyoto-u.ac.jp/%7Etransplant/islet/
幸せのお裾分け 2004.11.20
先月、ちょうどもみじが紅く色づきはじめた頃、友人の結婚式に招待され名古屋に行ってきました。彼女(新婦)は2年前まで私と同じ1型糖尿病でした。5歳で発症し、福岡の小児糖尿病サマーキャンプに参加していました。私は16歳で初参加、その時彼女は13歳ですでに糖尿病では私よりずっとベテランでした。こどもの頃から、とても明るくて活発な少女でした。しばらくぶりに会ったのは、私が医師になって、東京から福岡に戻ってきた時でした。その時、彼女は視力がかなり低下しており、腎臓も悪くなっていました。
視力がほとんどなくなったのは27才の時。人生のどん底を味わったという彼女はそこから立ち上り、生活訓練をするするため、大阪のライトハウスで2年間訓練をうけました。すっかり自立し、福岡に戻ってきてからは、私と一緒に食事に行ったり、コンサートに行ったり、そういえば6年前のクリスマスに、彼女の彼(今のご主人)と私の3人で食事に行きました。とってもやさしそうな彼でしっかりあてつけられましたけど・・・。
2年前に膵腎同時移植をうけ、インスリンと透析の生活から開放され(1型糖尿病が完治したのです)、彼女は新しい命と共に新しい人生を歩みはじめました。そして、この春から新しい土地(名古屋)で、やさしいご主人と生活をスタートさせたのです。どんな苦境にあっても、決して明るさと笑顔と感謝を忘れない彼女の生き方にいつも励まされています。福岡を離れて私にとって寂しくなりましたが、新たな土地でご主人といい友人たちに囲まれて、とてもとても幸せそうでした。最初から最後まで、ずっと笑顔と笑いにあふれた結婚式、私も幸せのおすそ分けをいっぱいいただいて、とっても幸せな気持ちで帰ってきました。
「彼女のHPを是非ご覧ください。
http://homepage3.nifty.com/sui-jin/index.htm
きっと皆さんも幸せな気持ちになりますよ。
新しいクリニックが完成しました 2004.10.19
平成16年10月1日、新しい場所で新たな気持ちで、診療をスタートしました。構想から約2年、この間多くの人との出会いがあり、その中で私の医療に対する考えをお話してきました。それぞれの専門家が最大限の力を発揮して下さり、私の願いどおりのすばらしいクリニックが完成しました。今は作っていただいた方々への感謝の気持ちでいっぱいです。
建物のテーマは“白”。広くて明るくて清潔感のあるおしゃれな建物です。待合室からは庭を眺めることができます。どの季節にも必ずどこかに“白い花”が咲いています。(今はさるすべりが咲いています。)来院していただいた方が気持ちよく、そして元気になれるように・・・そんな思いをこめています。どうぞ皆様楽しみに受診してください。
今後とも新しいクリニックで、スタッフ一同、更に充実した糖尿病診療に取り組んでいきますので、どうぞ宜しくお願い致します。
南昌江内科クリニック
TEL.092-534-1000・FAX.092-534-1001
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