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大濠公園 2005.11.10
毎年参加しているホノルルマラソンまであと1ヶ月。
毎日の診療と週末の講演や研究会を言い訳に、練習不足だった私もそろそろお尻に火がついてきました。先月から走りこみをはじめています。たまの休みには大濠公園を走ります。自宅からゆっくり走って30分で大濠公園に到着。1周2Kmの大濠公園を5~6周して自宅に帰ります。この2時間~3時間のトレーニングは私にとって唯一の楽しみでもあります。
大濠公園ではたくさんの風景を楽しむことが出来ます。
平日の午前中は、小さな保育園の子ども達が手をつないでお行儀良くお散歩しています。中にはまだヨチヨチ歩きの子どももいて、思わず手をひいてあげたくなります。また、年配のご夫婦が仲良くお散歩したり、たまにはスーツ姿の男性が池のほとりのベンチでボーっと鴨を眺めたり…。お天気のよい昼間はなんだか時間がゆっくり流れているような気がします。
平日の夕方になると、中学生や高校生達が部活の練習のために元気良く集団で走っています。中学生の頃、私も放課後にバスケットの練習でランニングをしていたのでとても懐かしくなります。
少し暗くなってくると、仕事を終えた人たちが黙々と歩いたりジョギングしたり。健康維持のため?老化防止のため?ダイエット目的?マラソンレースの練習目的?最近はペットブームで可愛い子犬を連れてお散歩をされている方も多く見かけます。
土日の大濠公園はとても賑やかです。なんと言っても家族連れが多くなります。たまの休みに、家族サービスをしているのでしょう。子どもたちと一生懸命に遊んでいるお父さんの姿が印象的です。お父さんも大変ですね。
老若男女、たくさんの人々に愛されている大濠公園。ここには、さまざまな人生の縮図をチラッと垣間見ることが出来ます。そんな光景を横目で見ながら、私も大学時代からここで作ったたくさんの出来事を思い出し、今日もホノルルマラソン完走を目指して良い汗を流してきました。
大濠公園からの帰り道、銀杏の葉が黄緑色から黄金色に変ろうとしていました。実を踏み潰さないように銀杏の木の下をゆっくりゆっくり走って帰ってきました。
今年は19名の仲間と一緒にホノルルマラソンに挑戦します。今年もまた皆とあの感動を味わうことが出来ますように……。
“変化” 2005.10.04
サマーキャンプが終わって、翌月の受診日。
キャンプに参加したこどもの目は、これまでとちがっています。
それまでどうしても学校でインスリン注射が出来なかった中学生の女の子が、自分から
「先生、わたし学校で注射してみようと思う……。」
彼女はキャンプにはじめて参加して、たくさんの友人ができました。そして心の底から思いを話すことが出来ました。そしてこころが変ったのです。
小学校2年生の男の子は、自分でインスリン注射はしていましたが、血糖測定や記録はすべてお母さんがやっていました。
「先生、ぼく、うちでも全部自分でやっとーよ。」
「キャンプから帰って、全然手がかからなくなって、とっても楽になっています。私、何にも手が出せなくなりました。」と嬉しそうなお母さん。
自分ですべて記録した血糖用紙はちょっと読みづらいのですが、嬉しいものです。
男子大学生のヘルパーが、「先生、僕キャンプに参加するまではただなんとなく大学に行っていたけど、今年のキャンプが終わって、将来自分が何をしたいのかが見つかった。これから自分の夢に向かってがんばってみます…。」
夢と希望をいっぱいに膨らませた若者の言葉でした。
こどももヘルパーも変化し、成長しました。そんな彼らから私も元気をいっぱいもらいました。
わたしの変化?・・・年々日焼け後の肌の回復が遅くなったくらいかな?
サマーキャンプ 2005.08.30
毎年恒例の”小児糖尿病サマーキャンプ”、福岡では今年で第37回目になります。8月17日~24日の7泊8日、夜須高原に行ってきました。
私が始めて参加したのは、第11回目で16歳の夏でした。それから26年になりますが、夜須高原での8日間はずっと変わっていません。
キャンプの参加者は4歳~高校生、運営の中心は自主的に参加してくれた大学生(ヘルパーと呼んでいます)、台所は中村学園大学の栄養士の卵の学生さんたちが美味しい料理を担当してくれます。そして数名の医師団です。8日間は皆が家族です。子供たちは”ちゃん”や”くん”をつけずに名前のままで呼びます。大学生やドクターはニックネーム、責任者の仲村先生は”おじいちゃん”、そして私は、ずっと昔から”まさえねえちゃん”のままです。(子供たちは素直に?そう呼んでくれます)
キャンプは、花火大会、クッキー作り、運動会、山登り、ハイキング、バーベキュー、デイスコ大会、キャンプファイヤーと連日行事が目白押しです。
また、毎日午前中に糖尿病教室があり、ここで子供たちは糖尿病の勉強をします。フリーの時間にはプールに入ったり、体育館でドッチボールをしたり、じっとしている時間はありません。そして毎晩”TG(Talking Group)”という時間帯に、同じ年頃の子供たちだけで話し合いをします。ここでの話は一切外には漏らさないという約束なので何を話しているかはわかりませんが、同じ病気を持った仲間同士、家庭でも学校でも話せない何かを、心を開いて話しているのでしょう。”TGで成長した”という子供たちがたくさんいます。
たった8日間ですが、子供たちはインスリン注射ができるようになったり、食べられなかった野菜が食べられるようになったり、友達を作ったり喧嘩をしたり、悩んだり泣いたり、いろいろな経験をして大きくなっていきます。
最後の夜のキャンプファイヤーでは、たいまつを持って一人一人、最後の言葉を述べます。
一人の中学生が「私はこのキャンプに参加して、糖尿病でよかったと思いました。大切な仲間ができて本当によかったです。」涙を流しながらの言葉でした。
最後に皆で、30年以上歌い続けられているテーマソングを歌いました。
「私に人生と言えるものがあるなら、あなたと過ごしたあの夏の日々。。。。。。。」
私に元気を与えてくれる子供たちとヘルパーの皆、そしてこのキャンプを37年間続けてくれているおじいちゃん、本当にありがとう。来年も、心も体も大きくなった皆と、またここで会えるのを楽しみにしています!
子供達との思い出に浸りながら、夜須高原を下る途中、夏の終わりを告げる赤とんぼが名残惜しそうに飛んでいました。
綺麗な花嫁さん 2005.07.10
7月はじめの日曜日、スタッフ皆で結婚式に参列しました。
花嫁さんは、私のクリニックで二年間受付、医療事務をしてくれたAiちゃん。
「今日も先生から叱られたよ~。」って言う患者さんの話を、いつも大きな目をパチパチさせて聴いていました。患者さんたちにとってはクリニックの中の“オアシス”的な存在だったと思います。患者さんたちにとっても、私にとっても彼女がクリニックを去るのは残念でなりません。
若い二人の結婚式は、とても賑やかで明るく楽しい時間でした。
式の終わりに、花嫁からご両親と妹さんへ感謝の手紙が読まれました。
「26年間、愛情いっぱいに育ててくれてありがとう。。。」
花嫁の大きな目からは大粒の涙がこぼれました。
そして花婿からは、自分自身と花嫁がこれまでお世話になった方々への感謝の言葉、そしてこれから彼女と幸せな人生を歩んでいく決意をこめた、心のこもった挨拶で宴を閉じました。
「Aiちゃん、これからご主人と二人で仲良く温かい家庭をつくってね。そして子育てが終わったらまた一緒に42.195kmを走ろうね。」
淋しさ半分、嬉しさ半分、少しだけ娘を嫁がせる母の気持ちがわかったような1日でした。
”ホタル” 2005.06.12
入梅前の蒸し暑い日、診療が終わってスタッフと一緒に温泉に行きました。30分ほど車を走らせると、サルやイノシシが出るほどの田舎に、ひっそりと風情のある温泉があります。現実から少し逃避したい時、時々訪れる場所です。
のんびり温泉に浸かって、お肌もツルツルになり、良い気分で帰っている途中、川のほとりの闇の中に光が。。。「あれっ、ホタル?」車を止めてライトを消して、橋の上から皆で息を凝らして思わずじっと見とれてしまいました。
あっちこっちで、2~3秒ごとにたくさんの光が幻想的に舞っていました。あんなに小さな体から精一杯のエネルギーを発しているのです。これはオスとメスの出会いのための交信なのですね。もう少し見ていたかったけどあんまり長く見つめるとお邪魔かな?と思って静かにその場を去りました。
体も心も綺麗になった?と感じた初夏の夜でした。
父の命日 2005.05.30
4年前、父は68歳で人生のピリオドを打ちました。
大腸癌が肝臓に転移して、発見された時には治療ができない状態でした。医者である私は、自分の親を助けられない現実が情けなく、とても辛かったです。
残された人生の期間、一緒に旅行に行ったり、映画を見たり、桜の花を見に行ったり、そしてたくさんたくさん話をしました。父は自分が若い頃の話を懐かしそうにしてくれました。そして私が子供のころ泣きん坊で困ったことや、私が糖尿病になったときのこと、大学受験の時とても心配したことなど。。。。そして、「結構無茶してきたけど、やりたいことをやってきた。でももう少し生きたい。」と、初めて父の淋しそうな顔を見ました。
そして最後に私に「お前はもう一人で生きていけるな。お母さんのことを宜しく頼むよ。」と言い残して逝ってしまいました。
皮肉にも父の葬儀は私の誕生日でした。葬儀には、父を慕ってくださった方がたくさんお別れに来てくださいました。その方々に、私は娘として医者として、父の病状と経過を挨拶の中で話しました。そして最後に「38年前の今日、私の誕生を一番喜んでくれたのは父だったと思います。きっといつまでも私のことを見守ってくれているんだと思います。お父さん、ありがとう。」
忘れられない38歳の誕生日でした。
誕生日に思う 2005.05.30
42年前の今日、私は両親と2人の兄の愛情をいっぱいに受けてこの世に誕生しました。
14才で糖尿病を発症し、子どもながらに「私は何才まで元気でいられるのだろうか?」といつも思っていました。「小児糖尿病の人ははせいぜい30才くらいまでしか元気でいられない。。。」など、いろんなことを耳にしました。それでもインスリンをしながら毎日元気に過ごしていました。
27才の時、肝臓を悪くして治療も上手くいかなかった時には「私の人生、40才くらいまでかな。」と勝手に悲劇のヒロインになっていました。これまでいろいろなことがありましたが、そんな私もあっという間に42歳。
今、こんなに元気で過ごしていられるのは、これまでに出会った方々と医学の進歩のおかげだと思います。そして42年前の今日、苦しい陣痛を乗り越えて私をこの世に送り出してくれた母と亡き父に感謝します。
私にとって誕生日は、両親に改めて感謝をする日なのです。
まぶしいくらいの新緑と爽やかな初夏の風が、私の誕生日を祝ってくれているように感じた1日でした。
Boston 2005.05.08
今年のゴールデンウィークは少しお休みをいただいてBostonに行って来ました。
Bostonはアメリカの中でも最も古い町のひとつで、17世紀の初めにイギリスからピューリタンたちが移住して創った街です。赤いレンガ造りの古い町並みはその名残を感じさせてくれました。またアメリカ独立戦争のきっかけと言われる”ボストン茶会事件”が起きた町でもあり、アメリカ建国の歴史を学ぶことができました。
周辺には有名なハーバード大学やマサチューセッツ工科大学、ボストン美術館、ボストン交響楽団などがあり、文化と教養にあふれる街でした。
まだ肌寒かったですが、ちょうど季節が冬から春に変わったところで、街並木の白い花が赤レンガに映えてとても綺麗でした。中心を流れるチャールズリバーは、雄大さと優雅さを併せ持った川で、心を和ませてくれました。
そして今回の旅の目的の一つである”Joslin Clinic”を訪ねました。”Joslin Clinic”は世界的に有名な糖尿病専門の病院で、糖尿病を専門とする医療者にとっては、是非一度は訪れたい施設なのです。
ちょうど友人が留学中なので、案内してもらいました。
外来や病棟はプライバシーの関係上難しかったですが、研究室では糖尿病に関連した研究をするために世界各国から若いドクターたちが集まっていました。日本からの留学生も何人かいましたが、彼らは皆生き生きと研究に励んでいました。医学の発展にはこうした研究者たちの地道な努力があることを改めて感じました。そして私もこうした研究者の恩恵をたくさんいただいて、元気に生かされていることに感謝しました。
Joslin Clinic を訪問して、医療者として患者としてまた新たな刺激を受けて日本に帰ってきました。
今日は母の日、4泊6日の旅はちょっと早い母の日のプレゼントになったかな?
時差13時間、片道約20時間の長旅に付き合ってくれた母に感謝です。
”つぼみ” 2005.04.03
先日の休日、柔らかな日差しを感じていつもの休日より早く目が覚めました。いつもは室内でトレーニングをするのですが、ポカポカ陽気に誘われて、ジョギングウェアでカメラを持って外に飛び出しました。この季節はやっぱり屋外でのトレーニングが最高です。
閑静な住宅街を通り、梅や桜の綺麗な公園を眺めながら坂道を登っていくと動植物園があります。坂道は辛いですが、上り詰めるとそこから福岡市が全貌できてとても綺麗です。
先日の地震がうそのように、静かに晴れ渡っていました。ゆっくり深呼吸し、ストレッチをして、美味しい空気を体いっぱいに感じました。
帰りはのんびり散歩のペースで、周りの景色や木々を見ながら、あちこちでカメラのシャッターを切りました。
ちょっと時期はずれの真っ赤な椿、満開の木蓮の花、そして、ピンクに色つき始めた桜のつぼみ。。。
いっぱいに膨らんだ”つぼみ”をじっと見ていると、この中にはたくさんの夢や希望が詰まっているような気がしてきました。なんだか臨月のお母さんのおなかのようで、思わず「早く出て来い」って囁きました。
辛い冬をすごされた方も多いと思います。でも春は必ずやってくるんですね。
あと数日で桜の花も満開です。今年はどんな顔で私たちを和ませてくれるのでしょうね。
地震お見舞いありがとうございます 2005.03.21
3月20日、日曜日午前10時53分、突然の揺れが九州北部を襲いました。特に私が住んでいる福岡では、震度6。これまで地震の少ない地域だっただけに多くの人がパニックになったようです。私は車を運転していた時でした。信号待ちで停車していたところ突然、荒波に襲われた船に乗っているように車がしばらく左右に揺れました。始めは何が起こったのかわかりませんでしたが、周りの車も同じ様に揺れ、信号機や街路樹も大きく揺れていたので地震だとわかりました。車に乗っていたので、家にいた人よりも揺れの感じ方は小さかったと思います。
しばらくして、TVの報道を見られた友人や遠方の知人の方々からお見舞いのメールや電話をたくさん頂きました。幸い、私もクリニックも自宅もほとんど被害はありませんでした。ご心配頂き、本当にありがとうございました。
すぐ近くに住んでいる兄や友人は、怪我はなかったものの「家の中は散乱している」と言っていました。大きな被害を受けられた方も多いようです。近くの体育館には玄海島から避難してこられた方々がたくさんおられます。これから私たちが出来ることを力を合わせてやっていこうと思います。
今朝は大きな余震で目が覚めました。すぐに父の遺影の前に行って手を合わせました。
生前に父がいつも言っていたことを思い出しました。
「いつまでも、あると思うな親と金。ないと思うな、不時の災難」
まだまだ余震を感じます。これ以上大きな災害が起こりませんように。
南昌江内科クリニック
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