院長メッセージ

    素敵な試練 2006.03.27

    院長メッセージ
    2006年03月27日

    2月に金沢で行われた“糖尿病学の進歩”という学会で発表をしてきました。まだまだ寒く、雪の舞う金沢でした。
     金沢はこれまで何度か訪れたことがありますが、どことなく静かで、日本の古い歴史を感じさせてくれます。華やかな京都にはない、“品”のあるこの街が大好きです。

    7年前に、金沢から1型糖尿病の50歳代の患者さんがクリニックに来られました。発症したばかりでたくさんの不安を抱えておられましたが、私と話をして随分気が楽になったと言ってくださいました。その後は、趣味の登山を楽しまれ、年に数回“山行記録”を送ってくださいます。忙しいお仕事の合間に、上高地やアルプスをはじめとする3000m以上の山々を山の仲間と一緒に楽しんでおられます。最近ではすっかり“パン職人”の技を磨いておられました。

    数年ぶりに金沢でその方とお会いしました。糖尿病も上手くコントロールされ、すっかりお元気そうで、当日の朝に焼いていただいた美味しいパンをたくさんいただきました。

     帰ってお礼のお手紙をいただきました。
    「糖尿病にならなければ夜の散歩もなくゴーシュも南さんとも出会わなかったと思います。神に与えられた運命なら素敵な試練なのかと思います。」

     私も糖尿病にならなければ、こんな素敵な出会いを経験することもなかったと思います。
    神様から与えられた“素敵な試練”に感謝します。

    *ゴーシュ:金沢東山にある素敵な喫茶店です。
          私もお気に入りです。

    “低血糖” 2006.01.21

    院長メッセージ
    2006年01月21日

    ホノルルマラソンのご報告、大変遅くなりました。

     今回で4回目の挑戦です。1年目は4名、2年目7名、3年目10名、そして今年は18名とだんだん大所帯になってきました。このうちフルマラソン参加者11人(1型糖尿病3名)、10kmウォーク7名でした。患者さんの参加も次第に多くなり、一緒に達成感を味わえるのはとても嬉しいことです。

     4回目ともなると、だんだん欲が出てきて少しでも早いタイムでゴールしたくなってきます。今回はこれまでで一番トレーニングをしました。月間100kmを目標に走っていましたが、結局1年間で約900kmの距離を走りました。市民ランナーなら少ない距離ですが、忙しいなか必死で時間を作って練習した距離でした。

     12月11日早朝5時、まだ真っ暗なホノルルの空に大きな花火が打ち上げられ、マラソンがスタートしました。私達のグループでは私、D介、まこちゃんの3人以外はフルマラソン初挑戦です。皆胸をドキドキさせてスタートしました。 
     スタート前に血糖値を測ってみると、なんと414mg/dlでした。めったに出ない数値にかなり動揺してのスタートでした。その時点では、気分も悪くなく出足快調で10kmでのタイムは今までで一番早かったのです。「血糖も高いし、この調子だと20kmくらいまで補食しなくていいな。でも、こんなに高い血糖で運動するなんて危険だ。ケトアシドーシスにでもなって倒れたらどうしよう。やっぱりインスリンを持って走るべきだった。。。」走りながら頭の中は血糖のことがぐるぐる回っていました。いつもは10kmでゼリーを100kcal程度食べますが、高血糖だから必要ないと思い食べませんでした。15kmをすぎた頃から、急に足が重くなり、吐き気がしてほとんど歩いていました。周りのランナーからどんどん追い越されていましたが、私は足を前に出すのが精一杯でした。「やっぱりこれはケトアシドーシスに違いない。今の時点で300mg/dl以上の血糖値だったら本当に危険だ。リタイアしなければ。周りの人に迷惑をかけるわけにはいかない。。。」
     血糖を測ってみたら、予測外の74mg/dlでした。2時間くらいでこの血糖値の急降下。吐き気と倦怠感の原因は低血糖だとわかり、少し安心して、すぐにブドウ糖を食べようとしましたが吐き気でなかなか入りません。それでも少しずつ食べながら、そしてエイドステーションでのアミノバリューを飲みながら、歩いたり走ったりしてようやくハーフを過ぎました。ハイウエィの途中で、D介、マッチ、幸ちゃん達とすれ違い、元気をもらいました。皆速い速い!すこし元気をもらってハワイカイを何とか折り返しましたが、やっぱりきつい。血糖は90mg/dlと、もう低血糖ではないので大丈夫だと言い聞かせながら走りましたが、辛くて走る時間が持続しません。途中トイレに行き一息入れて、海を眺めながら「とにかく完走しよう。タイムは気にせずにあと10kmは楽しんで走ろう!」と気分を一新しました。
     
     おり返しのハイウエィで、Mさき、K子、Y子ちゃんそしてO先生ご家族とすれ違いました。初参加の彼女達は、足を引きずりながら必死で走っていました。そんな姿を見て、「辛いのは皆一緒。皆頑張ってるんだから。」とまた少し元気をもらいました。30kmを過ぎると今度は膝の痛みです。11月に走りすぎて膝を痛めていましたが、その痛みが出てきました。周りの人たちも足を引きずっています。あと10km、5km、3km、そしてようやく本当に長い長い42.195kmが終わりました。ゴール手前では、ウォークの仲間が手を振って待っていてくれました。そして、母の心配そうな顔もありました。

     昨年より27分遅いゴールでしたが、何とか無事に完走することができました。今回は血糖コントロールに苦慮した42.195kmでした。フルマラソンも4回目での油断、少し“血糖コントロール”をあまく考えていた失敗でした。糖尿病の専門家でありながら恥ずかしい限りですが、この失敗を繰り返さないよう今年もまた走りつづけます。

     糖尿病のある人生、常に“Try and Error”ですが、けっこう楽しいです。

    “初参り?” 2006.01.11

    院長メッセージ
    2006年01月11日

    明けましておめでとうございます。

    今年のお正月はとても良いお天気で初詣日よりでした。全国的にも初詣に行かれた方はとても多かったようですが、お正月はどのように過ごされましたか?

    私は元旦の朝、母と一緒に父と祖父母のお墓参りに行って来ました。それほど遠くはないのに、お盆以降、お参りに行っていませんでした。
    父のお墓には、すでにお正月のお花が飾ってありました。毎朝、散歩がてらに父と祖父母のお墓まいりをするのが母の日課です。それをしないと1日が始まらないそうです。ですから父のお墓には毎日綺麗なお花が絶えません。大晦日に兄が綺麗に掃除をしてくれていましたが、久しぶりに行った私は、井戸で水を汲んで絞った雑巾で綺麗にお墓をふきました。お天気も良かったせいか、青空にお墓の石が光っているように見えました。
    手を合わせて、父が生きていた頃に我が家の風習だった“今年の目標”と、昨年1年も健康で過ごすことが出来たことへの感謝の気持ちを父に伝えました。

    昨年掲げた10個の目標のうち、達成できたものは半分でした。さあ、今年もまた10個の目標を掲げましたが、ひとつでも多く叶えられるようがんばります!

    皆様にとって健康で素敵な1年になりますように。
    今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

    大濠公園 2005.11.10

    院長メッセージ
    2005年11月10日

    毎年参加しているホノルルマラソンまであと1ヶ月。
    毎日の診療と週末の講演や研究会を言い訳に、練習不足だった私もそろそろお尻に火がついてきました。先月から走りこみをはじめています。たまの休みには大濠公園を走ります。自宅からゆっくり走って30分で大濠公園に到着。1周2Kmの大濠公園を5~6周して自宅に帰ります。この2時間~3時間のトレーニングは私にとって唯一の楽しみでもあります。

     大濠公園ではたくさんの風景を楽しむことが出来ます。
     平日の午前中は、小さな保育園の子ども達が手をつないでお行儀良くお散歩しています。中にはまだヨチヨチ歩きの子どももいて、思わず手をひいてあげたくなります。また、年配のご夫婦が仲良くお散歩したり、たまにはスーツ姿の男性が池のほとりのベンチでボーっと鴨を眺めたり…。お天気のよい昼間はなんだか時間がゆっくり流れているような気がします。
     平日の夕方になると、中学生や高校生達が部活の練習のために元気良く集団で走っています。中学生の頃、私も放課後にバスケットの練習でランニングをしていたのでとても懐かしくなります。
    少し暗くなってくると、仕事を終えた人たちが黙々と歩いたりジョギングしたり。健康維持のため?老化防止のため?ダイエット目的?マラソンレースの練習目的?最近はペットブームで可愛い子犬を連れてお散歩をされている方も多く見かけます。
     土日の大濠公園はとても賑やかです。なんと言っても家族連れが多くなります。たまの休みに、家族サービスをしているのでしょう。子どもたちと一生懸命に遊んでいるお父さんの姿が印象的です。お父さんも大変ですね。

     老若男女、たくさんの人々に愛されている大濠公園。ここには、さまざまな人生の縮図をチラッと垣間見ることが出来ます。そんな光景を横目で見ながら、私も大学時代からここで作ったたくさんの出来事を思い出し、今日もホノルルマラソン完走を目指して良い汗を流してきました。

     大濠公園からの帰り道、銀杏の葉が黄緑色から黄金色に変ろうとしていました。実を踏み潰さないように銀杏の木の下をゆっくりゆっくり走って帰ってきました。

     今年は19名の仲間と一緒にホノルルマラソンに挑戦します。今年もまた皆とあの感動を味わうことが出来ますように……。

    “変化” 2005.10.04

    院長メッセージ
    2005年10月04日

    サマーキャンプが終わって、翌月の受診日。
    キャンプに参加したこどもの目は、これまでとちがっています。

     それまでどうしても学校でインスリン注射が出来なかった中学生の女の子が、自分から
    「先生、わたし学校で注射してみようと思う……。」
    彼女はキャンプにはじめて参加して、たくさんの友人ができました。そして心の底から思いを話すことが出来ました。そしてこころが変ったのです。

     小学校2年生の男の子は、自分でインスリン注射はしていましたが、血糖測定や記録はすべてお母さんがやっていました。
    「先生、ぼく、うちでも全部自分でやっとーよ。」
    「キャンプから帰って、全然手がかからなくなって、とっても楽になっています。私、何にも手が出せなくなりました。」と嬉しそうなお母さん。
    自分ですべて記録した血糖用紙はちょっと読みづらいのですが、嬉しいものです。

     男子大学生のヘルパーが、「先生、僕キャンプに参加するまではただなんとなく大学に行っていたけど、今年のキャンプが終わって、将来自分が何をしたいのかが見つかった。これから自分の夢に向かってがんばってみます…。」
    夢と希望をいっぱいに膨らませた若者の言葉でした。

     こどももヘルパーも変化し、成長しました。そんな彼らから私も元気をいっぱいもらいました。
    わたしの変化?・・・年々日焼け後の肌の回復が遅くなったくらいかな?

    サマーキャンプ 2005.08.30

    院長メッセージ
    2005年08月30日

    毎年恒例の”小児糖尿病サマーキャンプ”、福岡では今年で第37回目になります。8月17日~24日の7泊8日、夜須高原に行ってきました。
     
     私が始めて参加したのは、第11回目で16歳の夏でした。それから26年になりますが、夜須高原での8日間はずっと変わっていません。
     キャンプの参加者は4歳~高校生、運営の中心は自主的に参加してくれた大学生(ヘルパーと呼んでいます)、台所は中村学園大学の栄養士の卵の学生さんたちが美味しい料理を担当してくれます。そして数名の医師団です。8日間は皆が家族です。子供たちは”ちゃん”や”くん”をつけずに名前のままで呼びます。大学生やドクターはニックネーム、責任者の仲村先生は”おじいちゃん”、そして私は、ずっと昔から”まさえねえちゃん”のままです。(子供たちは素直に?そう呼んでくれます)

     キャンプは、花火大会、クッキー作り、運動会、山登り、ハイキング、バーベキュー、デイスコ大会、キャンプファイヤーと連日行事が目白押しです。
    また、毎日午前中に糖尿病教室があり、ここで子供たちは糖尿病の勉強をします。フリーの時間にはプールに入ったり、体育館でドッチボールをしたり、じっとしている時間はありません。そして毎晩”TG(Talking Group)”という時間帯に、同じ年頃の子供たちだけで話し合いをします。ここでの話は一切外には漏らさないという約束なので何を話しているかはわかりませんが、同じ病気を持った仲間同士、家庭でも学校でも話せない何かを、心を開いて話しているのでしょう。”TGで成長した”という子供たちがたくさんいます。

     たった8日間ですが、子供たちはインスリン注射ができるようになったり、食べられなかった野菜が食べられるようになったり、友達を作ったり喧嘩をしたり、悩んだり泣いたり、いろいろな経験をして大きくなっていきます。
    最後の夜のキャンプファイヤーでは、たいまつを持って一人一人、最後の言葉を述べます。
    一人の中学生が「私はこのキャンプに参加して、糖尿病でよかったと思いました。大切な仲間ができて本当によかったです。」涙を流しながらの言葉でした。

     最後に皆で、30年以上歌い続けられているテーマソングを歌いました。
    「私に人生と言えるものがあるなら、あなたと過ごしたあの夏の日々。。。。。。。」

     私に元気を与えてくれる子供たちとヘルパーの皆、そしてこのキャンプを37年間続けてくれているおじいちゃん、本当にありがとう。来年も、心も体も大きくなった皆と、またここで会えるのを楽しみにしています!

     子供達との思い出に浸りながら、夜須高原を下る途中、夏の終わりを告げる赤とんぼが名残惜しそうに飛んでいました。

    綺麗な花嫁さん 2005.07.10

    院長メッセージ
    2005年07月10日

    7月はじめの日曜日、スタッフ皆で結婚式に参列しました。

    花嫁さんは、私のクリニックで二年間受付、医療事務をしてくれたAiちゃん。
    「今日も先生から叱られたよ~。」って言う患者さんの話を、いつも大きな目をパチパチさせて聴いていました。患者さんたちにとってはクリニックの中の“オアシス”的な存在だったと思います。患者さんたちにとっても、私にとっても彼女がクリニックを去るのは残念でなりません。

    若い二人の結婚式は、とても賑やかで明るく楽しい時間でした。
    式の終わりに、花嫁からご両親と妹さんへ感謝の手紙が読まれました。
    「26年間、愛情いっぱいに育ててくれてありがとう。。。」
    花嫁の大きな目からは大粒の涙がこぼれました。
    そして花婿からは、自分自身と花嫁がこれまでお世話になった方々への感謝の言葉、そしてこれから彼女と幸せな人生を歩んでいく決意をこめた、心のこもった挨拶で宴を閉じました。

    「Aiちゃん、これからご主人と二人で仲良く温かい家庭をつくってね。そして子育てが終わったらまた一緒に42.195kmを走ろうね。」

    淋しさ半分、嬉しさ半分、少しだけ娘を嫁がせる母の気持ちがわかったような1日でした。

    ”ホタル” 2005.06.12

    院長メッセージ
    2005年06月12日

    入梅前の蒸し暑い日、診療が終わってスタッフと一緒に温泉に行きました。30分ほど車を走らせると、サルやイノシシが出るほどの田舎に、ひっそりと風情のある温泉があります。現実から少し逃避したい時、時々訪れる場所です。

     のんびり温泉に浸かって、お肌もツルツルになり、良い気分で帰っている途中、川のほとりの闇の中に光が。。。「あれっ、ホタル?」車を止めてライトを消して、橋の上から皆で息を凝らして思わずじっと見とれてしまいました。
    あっちこっちで、2~3秒ごとにたくさんの光が幻想的に舞っていました。あんなに小さな体から精一杯のエネルギーを発しているのです。これはオスとメスの出会いのための交信なのですね。もう少し見ていたかったけどあんまり長く見つめるとお邪魔かな?と思って静かにその場を去りました。

     体も心も綺麗になった?と感じた初夏の夜でした。

    父の命日 2005.05.30

    院長メッセージ
    2005年05月30日

    4年前、父は68歳で人生のピリオドを打ちました。

    大腸癌が肝臓に転移して、発見された時には治療ができない状態でした。医者である私は、自分の親を助けられない現実が情けなく、とても辛かったです。
    残された人生の期間、一緒に旅行に行ったり、映画を見たり、桜の花を見に行ったり、そしてたくさんたくさん話をしました。父は自分が若い頃の話を懐かしそうにしてくれました。そして私が子供のころ泣きん坊で困ったことや、私が糖尿病になったときのこと、大学受験の時とても心配したことなど。。。。そして、「結構無茶してきたけど、やりたいことをやってきた。でももう少し生きたい。」と、初めて父の淋しそうな顔を見ました。
    そして最後に私に「お前はもう一人で生きていけるな。お母さんのことを宜しく頼むよ。」と言い残して逝ってしまいました。

     皮肉にも父の葬儀は私の誕生日でした。葬儀には、父を慕ってくださった方がたくさんお別れに来てくださいました。その方々に、私は娘として医者として、父の病状と経過を挨拶の中で話しました。そして最後に「38年前の今日、私の誕生を一番喜んでくれたのは父だったと思います。きっといつまでも私のことを見守ってくれているんだと思います。お父さん、ありがとう。」

    忘れられない38歳の誕生日でした。

    誕生日に思う 2005.05.30

    院長メッセージ
    2005年05月30日

    42年前の今日、私は両親と2人の兄の愛情をいっぱいに受けてこの世に誕生しました。

     14才で糖尿病を発症し、子どもながらに「私は何才まで元気でいられるのだろうか?」といつも思っていました。「小児糖尿病の人ははせいぜい30才くらいまでしか元気でいられない。。。」など、いろんなことを耳にしました。それでもインスリンをしながら毎日元気に過ごしていました。
     27才の時、肝臓を悪くして治療も上手くいかなかった時には「私の人生、40才くらいまでかな。」と勝手に悲劇のヒロインになっていました。これまでいろいろなことがありましたが、そんな私もあっという間に42歳。
     
    今、こんなに元気で過ごしていられるのは、これまでに出会った方々と医学の進歩のおかげだと思います。そして42年前の今日、苦しい陣痛を乗り越えて私をこの世に送り出してくれた母と亡き父に感謝します。
    私にとって誕生日は、両親に改めて感謝をする日なのです。

    まぶしいくらいの新緑と爽やかな初夏の風が、私の誕生日を祝ってくれているように感じた1日でした。

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