院長メッセージ

さが桜マラソン2009 2009.04.22

院長メッセージ
2009年04月22日

福岡では今年は桜の開花が早かったので4月にはいると少し散り始めていましたが、4月5日の佐賀の桜はちょうど満開でした。
今回“さが桜マラソン”に福岡、熊本、大分からTDJの仲間18名が参加しました。
ハーフ、10km、ジョギングの種目があり、2週間前に東京マラソンでフルを走った私は、今回は無理をせず、楽しく10kmに参加しました。
当日の朝は少し曇っていましたが、暑くはなくマラソンにはちょうどいいお天気でした。
早めに出発したにも関わらず会場の駐車場はいっぱいで、佐賀の土地にもマラソンブームを感じました。
今回初めて10kmやハーフに挑戦する仲間もいたので、「無理をしない様に、がんばってね。
くれぐれもゴール手前では全速力で走らないように。」とアドバイスしました。

10kmに参加したメンバーの後ろから写真を撮りながら、途中桜のきれいな並木道で桜や新緑の息吹を感じながら、あっという間に楽しく10km走り終えました。

ハーフの仲間の応援に、ゴール手前300m位のところでカメラを持ってランナーたちを応援していた時のことです。一人の男性がよろよろと倒れました。おや?と思った瞬間に痙攣したので、すぐに駆け寄ると意識は全くなく、心肺停止の状態でした。一緒に応援していたTDJの仲間に「救急車を呼んで。心肺停止と伝えて。」と言い、すぐに心臓マッサージを始めました。TDJの仲間が呼んできてくれた本部の救急車のAEDが到着するまでマッサージを続けましたが蘇生できず、救急隊の方と一緒にAEDを使用しました。しばらくマッサージを続け、その後消防隊からの救急車が到着しすぐに病院に搬送されました。
翌日、消防隊や主催者から連絡があり、無事意識を取り戻されたと聞きホッとしました。
一緒に応援していたTDJのメンバーも大変あわてていましたが、一緒に救助に協力してくれたおかげでお役に立つことができたこと、メンバーにも大変感謝しています。

先日の東京マラソンでも芸能人が心肺停止になりましたが、スポーツ(特にマラソン大会)にはこのような緊急の事態が起こることがあります。参加者は自分の体の状態をよく把握し、決して無理はしないこと、場合によってはリタイアする勇気も必要です。また、もしこのようなことが自分の近くで起こったときの救急の対応についても知っておくと良いと思います。

東京マラソン2009完走記 2009.04.01

院長メッセージ
2009年04月01日

2008年12月19日、ホノルルマラソンから帰って2日後、まだ南の楽園の余韻と心地よい筋肉痛が少し残っている頃でした。いつものようにPCのメールを開くと“東京マラソン事務局”からメールの通知が。
11月にすでに落選の通知が来ていたので、不思議に思って開いてみると、なんと“追加抽選に当選しました!”との報告でした。

 近年はマラソンブームで、その中でも東京マラソンは一番の人気で、3万人のランナーに対して1年目は3倍、2年目は5倍、そして今年の3年目は3万5千人に増やしても7.5倍の確率で抽選に当選した人しか走れないほどの貴重な大会なのです。
東京マラソンが始まってから毎年申込をしていたにも関わらず、3回連続落選。いつものことながらくじ運の悪い私は全く期待していなかっただけに、驚きと半ば信じられない気持でした。つい数日前に42.195kmを走って、次は(この苦しみも)1年後だと思っていましたが、7.5倍の確率で手にしたプラチナチケットに、その苦しみは一気に忘れてしまいました。早速インターネットで申し込みと入金を行い、東京のど真ん中を走れるという興奮が頭の中をかけめぐりました。
 
 ホノルルマラソンが終わって1週間目からトレーニングを再開しました。と言っても通常行っている週3回の早朝ラン(6km)と休日の少し長めのランニング程度でしたが。今回は、仲間と一緒に走るホノルルマラソンと違って、TDJ(Team Diabetes Japan)の仲間が2人しか当選しなかったので少し淋しい思いでしたが、落選したみんなの分もしっかり走ろうという気持ちもありました。そのころは、もう少し筋トレをして脚力をつけようと思ってはいたものの、結局いつものトレーニングのままで3月22日を迎えることになりました。

 当日の朝、スタート地点の東京都庁は人・人・人。自分の地点に並ぶのも一苦労で、朝の通勤ラッシュのようでした。いつもの大会では、仲間と一緒に並んで号砲を待つのですが、今回は一人。周りの知らない人たちとの会話も楽しいものでした。
石原都知事の挨拶は全く聞こえず、そのうち少しずつ集団が前に進み始めました。号砲が鳴ってから12分でようやくスタート地点を踏むことができました。いよいよ始まった東京マラソン。ホノルルと違ってとにかく沿道の応援がすごいです。スタート地点から、走っても走っても沿道の応援の人々は絶えません。ところどころでチアガールが踊っていたり、音楽隊の演奏があったりと、まるでお祭りでした。
 懐かしい新宿から富久町~市ヶ谷のあたりを走っていたら、TDJの旗が見えました。多くの応援の人ごみの中で、知り合いを見つけると急に元気が出てくるものです。私も右手にもったカメラで応援に来てくれた知人を撮りました。市ヶ谷や飯田橋は、私が研修医のころに住んでいた街の近くなので、自転車でこのあたりをよく通ったなあ、と20年前を懐かしく思いながら走りました。何度か走ったことのある皇居の前を過ぎる頃、血糖値が下がってき始めた感覚があり、持っていた120キロカロリーのジェルを食べると少し元気が出てきました。10kmの日比谷公園を過ぎると右手に東京タワーが見えます。昔を思い出し写真をパチリ。そのあと品川に向かっての長い直線が続きます。まだまだこのあたりは余裕でしたが、品川の折り返しを過ぎた18kmくらいから少しずつ疲れが出てきました。沿道の応援も少し少なくなっていました。突然、後ろから「南先生!」と大きな声が。振り返ると葛飾の加藤先生でした。お互いに写真を撮りあい、この数秒間で折れかかった心と足取りが急に軽くなり、気がついたら銀座に来ていました。急に風が強くなり、雨が降り始めました。応援も少なくなるのではと思いましたが、沿道の人々は傘をさして「がんばれ~」とランナーに声をかけてくれました。出来るだけの笑顔で「ありがとう」と答えながら、たくさんの応援の人の中に知り合いはいないかなあと探しながら走っているうちに気がついたら浅草でした。雷門の大きな赤い提灯に、20年前に着物をきて初詣に来たことを思い出しながら走っていると、TDJの青い旗が目に入りました。応援の中にいつも目立って一番前にいるのが私の母でした。みんなの顔を見るとまたまた元気をもらいました。30kmを過ぎたころから足取りがさらに重くなってきましたが、そこで中学の友人が応援に駆け付けてくれて、同窓会以来の10数年ぶりの友人と出会って、ここで元気を充電できました。残り4km地点あたりからは、折れそうになった心に追い打ちをかけるように向かい風が吹いてきました。走りから歩きのペースになりそうな時に、「あなたたちは、抽選に通ったラッキーな人たちなんですよ~がんばれ~。」と声援が。そうなんだ!頑張れ!と自分に言い聞かせながらまたゆっくり走り始めてようやく残り1km近くまで来たところで再びTDJの旗が。。。最後の力を振り絞って、最後は笑顔で?初めての東京マラソン、9回目のフルマラソンを自己ベストで完走しました。
 沿道の応援の方々が私の心をゴールまで繋いでくれたのだと思います。今回も無事完走できたこと、応援に来て下さった人や沿道で声援を下さった方々、そしてボランティアの方々に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 この日の東京の街は、「ガンバレ~」と「ありがとう」の言葉で満ちあふれていました。
 私にとっては、研修医のころに東京で過ごした3年間の思い出と、この日に応援に駆け付けてくれた皆の笑顔を想いながら走った、長くて短い5時間4分でした。
自分の体に「おつかれさま。」とつぶやきながら心地よい疲れと達成感を感じてゴールをあとにしました。

 また、来年もランナーか応援で東京マラソンに参加します。
 こんなイベントが多くの街で行われると日本ももっともっと元気になると思います。

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