院長メッセージ

TEAM DIABETES JAPAN 2006.12.30

院長メッセージ
2006年12月30日

“Changing Diabates”(糖尿病で変えてきたこと、変えていきたいこと)

 11月14日、世界糖尿病デーに、インスリンの製薬会社である、ノボノルディスクファーマが“Changing Diabetes”という趣旨でエッセイを応募しました。そのときに応募した私の作品が優秀賞を受賞しましたので、ここでご披露したいと思います。
私のクリニックに通院されている患者さんたち3名も優秀賞を受賞されましたので、是非お読みください。それぞれにご自身の想いがたくさんこめられた感動作です。

http://www.novonordisk.co.jp/documents/article_page/document/PR_06_essay.asp

 “TEAM DIABETES JAPAN”

14歳の夏、思春期の真っ只中に私は1型糖尿病を発症しました。その頃は、「大好きだったスポーツができなくなるかもしれない、友人と同じ様に生活できなくなるかも知れない、将来元気でいられるだろうか」と不安でいっぱいでした。「どうして私だけがこんな病気になったの?どうせ私は糖尿病だから。。。」と何をするにも自分ができないことを糖尿病のせいにして逃げてきました。
 高校生になって、主治医の半ば強制的な勧めでサマーキャンプに参加しました。そこでは私よりもずっとずっと小さな小学生たちが、元気ではしゃいでいました。中学生や同じ高校生たちは、小さな子供たちの面倒をよく見ていました。皆同じ病気を持ちながら、大変なことはたくさんあるけれど、糖尿病から逃げず一生懸命に生きていました。そんな姿を見て、それまでの自分が恥ずかしくなりました。サマーキャンプに参加して、初めて“糖尿病をもつ人生”と向き合えることができるようになりました。そして“将来の夢”を持つことができたのです。

“医師になって、糖尿病を持つ人の役に立つことができるような仕事をしたい。”

 医師になることを目標に、高校生の時は必死で勉強しました。念願の医学部に合格できて、大学生活は、勉強はもちろんですが、「糖尿病でできないことは何もないんだよ。」という主治医の言葉を信じて、スキー場でのアルバイトやアメリカでのホームステイも経験しました。両親にはいつも心配をかけていましたが、いろんなことにチャレンジして、ひとつひとつ自分に自信をつけていくことができました。

 糖尿病を発症して30年、そして医師になって20年目になります。この間、糖尿病から逃げ出したくなった時、医師を辞めたくなった時、生きる希望を失った時など辛いこともたくさんありました。でも私を愛してくれる家族や友人の支え、素晴らしい先生方との出会い、そして糖尿病治療の進歩のおかげで、30年経った今でもこうして元気に過ごしています。糖尿病になったおかげで、命の尊さ、健康の本当の大切さを知ることが出来ました。   
 現在は糖尿病専門医として多くの糖尿病の方と接していますが、その中にはインスリンをしながら元気に活躍している方もたくさんいらっしゃいます。そんな患者さんたちから刺激を受けて、私も何か出来ることはないかと考えていた頃、ホノルルマラソンを完走されたある糖尿病専門の先生からの一言が私の心を動かしてくれました。
「先生も挑戦してみない?きっと出来るよ。」
それまでも健康な人と何ら変わりない生活をし、スポーツも楽しんでいました。5kmくらいのレースには参加していましたが、フルマラソンは、インスリンをしている自分の体力では到底無理だろうと自分で自分に限界を作っていました。でもよく考えると、これまで糖尿病でできないことは何一つありませんでした。
それから1年2ヶ月、毎月100km走ることを計画しトレーニングをはじめました。診療や講演、研究会など忙しい時間の合間をぬって、 “ホノルルマラソン完走”を目標に、トレーニングが楽しみにもなりました。低血糖時の補食や高血糖時のインスリンの調整などやらなければいけないことはいくつかありましたが、自分の体を観察できるよい訓練にもなりました。

 2002年12月8日、初めてのフルマラソン完走を成し遂げた時は、感動と涙、そして全ての方たちへの感謝の気持ちでいっぱいになりました。そしてこれから生きていくうえでの更なる自信にもつながっていきました。この感動を再び味わいたくて、それから毎年参加しています。そして、仲間や患者さん達にも是非この感動を味わっていただきたいと思い、体験談を話していく中で、年々一緒に参加するメンバーも増えてきました。仲間が増えることで、感動もまた違ったものになってきています。
“糖尿病”だからと言って出来ないことはありません。自己管理さえきちんとすれば、病気がない人より、むしろ元気で有意義な人生を送ることが出来るのです。この感動を一人でも多くの糖尿病を持つ患者さん達に味わっていただきたいと思い、全国的に糖尿病の方や医療者に呼びかけて“TEAM DIABETES JAPAN”を設立しました。

 元気な糖尿病の方たちが日本中に増え、有意義な人生を送ってくださるよう、そして
「糖尿病の人って、元気で魅力的ね。」
多くの人々が、そんな風に思ってくれる社会を作っていきたいと思っています。

1泊3日ハワイの旅 2006.12.30

院長メッセージ
2006年12月30日

前回に引き続き、ホノルルのお話です。 “1泊3日”は私のことではありません。私はしっかりお休みをいただいて、例年のように4泊6日でマラソン前後も楽しんできました。
 山口から参加されているO先生は今年で7回目のホノルルマラソン。ですが、今年ご開業されたばかりで、「忙しくて今年は難しいかも知れない。」と言われていましたが、それでも毎年続けることが大切だからと、今年は1泊3日の予定で参加されました。
前日の壮行会にぎりぎり間に合って、皆でランチを取りながら、「明日は10時までに完走しないと飛行機に乗り遅れるんだよね。」とおっしゃっていました。ということは、5時間以内で完走するということですが、4時間以内で完走する実力をもっていらっしゃるので、そんなに心配ないだろうと思っていました。
マラソン当日、走っている途中、ちょうどハイウエイに入る頃ですから、17~18kmの地点で、後ろから「みなみせんせい!」って声をかけられたので、振り向くとO先生がカメラのシャッターを切ってくれました。それからすぐに私を追い越してあっという間に行ってしまいました。「O先生今年はどうしてこんなにのんびりなんだろう?」と考えながら走りました。
 私がゴールに着いたときは、すでにO先生は空港に向かっていたようです。

 その日の夜の祝賀会で、一番早かった1人を除いて全員が、「O先生が後ろから来て、写真を撮って追い抜かれていった。」と言っていました。
ようやく謎が解けました。O先生はみんなの走っている姿を撮るために、わざと後ろからゆっくり走られたんだ!
 自分のタイムを更新させたいのがランナーですが、O先生は、皆に喜んでもらおうと思って1泊3日でハワイに来られたようです。感激のあまり涙がでそうになりました。

 日本に帰ってお礼のメールをしましたが、そのお返事に、「いそいで空港に行ったのに、飛行機の故障で5時間機内で待たされ、その挙句、なおる見込みがないのでもう1泊ホノルルに泊まられたとのことでした。本当に本当にお疲れ様、そしてありがとうございました。来年はゆっくり楽しめるといいですね。

“まさか”の坂 2006.11.26

院長メッセージ
2006年11月26日

11月になり、急に寒くなった日の早朝の出来事でした。
 なんとなくいやな臭いで目を覚ましました。すぐに臭いのするリビングに行くと、真っ赤な炎が1mくらい燃え上がっているのです!!! 一瞬何が起きているのかわかりませんでしたが、何とかしなければと、とっさに目の前にあったやかんで、そのまま2~3杯水をかけました。炎が消えると同時に、今度は煙が上がって、警報機がすごい音を立ててなり始めました。そこにあったのは3分の1くらい原型を残して解けた加湿器でした。
何がなんだかわからず、悪夢でも見ているのではないかと何度も思いましたが現実でした。とにかく119番。朝4時すぎ、まだ真っ暗な中をけたたましいサイレンとともに消防車が到着しました。すでに火は消えていましたが、消防隊の方から「前髪がチリジリになっていますよ。かなり火があがっていたのですね。よく一人で消せましたね。」と言われ、ようやく我にかえる事ができました。
 
 数日は煙の臭いで夜中に何度も目が覚めました。右手と両足に軽いやけどを負いましたが、この程度で済んでよかったと思います。いつもは寝室に置く加湿器をその日に限ってリビングに置いていました。幸い周りに燃えやすいものがなかったので大事には至らなかったのですが、もし加湿器を置く場所が違っていたら、もし目が覚めなかったらと考えるとゾッとします。発火した加湿器は原因を調べるために消防隊の方が持って帰られましたが、最近電気製品からの発火が多いそうです。皆さんもくれぐれも電源のつけっぱなしには気をつけてくださいね。

 事態が終わって、すぐに父の遺影の前で手を合わせました。
「この程度で済んだのはきっとお父さんが見守ってくれたんだよね。ありがとう。」
そういえば、生前に父が話してくれたことを思い出しました。「人生には3つの坂があるんだよ。上り坂、下り坂、そして“まさか”の坂。この“まさか”の事態が起こったときにきちんと冷静に対応できるよう心がけておきなさい。」と。
 
 最近、父の言葉が身にしみて感じるようになってきました。年齢を重ねていくといろいろな経験をするものですが、こんな経験は二度としたくないですね。

親子継承 2006.10.26

院長メッセージ
2006年10月26日

私は北九州で街の電気屋の娘として生まれ、14歳までは医師になるなんて全く考えてもいませんでした。14歳で糖尿病を発症したことが、私の人生を大きく変えました。
 今年で医師になって18年、開業医になって8年になります。医師になった当初は、開業するなんて全く考えていませんでしたが、大きな病院では自分のやりたい医療に限界を感じ、まだ若かったですが35才で開業に踏み切りました。

 40歳を過ぎたころから、ようやく同級生たちが新規開業したり、ご尊父様から継承され同じ立場になってきました。ご尊父様から継承する同級生たちは、「オヤジの頃とは時代が違うので意見が合わない。」と皆同じ様に愚痴を言うことが多いです。私から見れば、一番身近に、最も信頼できるお父様がいらっしゃるし、また経済的な面でもとてもうらやましく思うのですが。。。

 45年間電気屋を経営していた父は、5年前に大腸癌の肝転移で他界しましたが、元気な時から「子どもが後を継がないのなら、こんなに借金をしてまで大きくはしない。」と言っていました。父の気持ちを受け継いで電気屋の後継ぎになった兄とは、いつも意見がぶつかっていたようでした。同じ仕事のことで、親子で話しが出来ることを私はうらやましく思っていました。亡くなる1ヶ月くらい前から、兄は仕事が終わると必ず父の入院先の病院に行って夜遅くまで仕事の話をしていたようです。父は最後まで商売人として伝えたいことがたくさんあったのでしょう。
 職業は違いますが、父が生きていたら私にもたくさん教えてほしいことがあったのに、と時々思います。

 8年前にビルクリニックで開業し、新しいクリニックを建ててあっという間に2年が過ぎました。毎朝父の遺影に手を合わせて、こうして元気で幸せに毎日を過ごしていられることに感謝の報告をしています。

第38回 ヤングホークスサマーキャンプ 2006.08.27

院長メッセージ
2006年08月27日

 一大行事の小児糖尿病サマーキャンプが無事終わりました。今年で38回目、場所も日程もこの数十年変わらず、8月17日~24日の8日間、夜須高原のやすらぎ荘で行われました。

 今年は初参加の子供たちが多く、特に小学校1、2年生の女の子が多かったです。初日はまだ慣れないためか、それともお母さんが恋しいのか、心配そうにしていましたが、日にちが経つにつれ、とっても元気になってきます。そのうち素が出て、我がままを言ったり、喧嘩をしたり、まるで家族のようです。
 朝は6時に起床、6時30分からラジオ体操、そのあと皆で掃除をして、検査室で血糖測定、インスリン注射、それから朝ごはんです。食事は、すべて中村学園の栄養士さんの卵の学生さんたちが作ってくれます。カロリーもバランスも計算され、その上とっても美味しい食事です。皆でいただく食事はさらに美味しさを増します。昨年は野菜がなかなか食べられなくて、とっても時間がかかった子供たちも、今年はずいぶん早く食べられるようになっていました。ステーキの夕食の時には、栄養士さんからフォークとナイフの使い方も習いました。
おしゃべりが多すぎたり、途中ジャンケンで遊んだりしてお行儀が悪い子供はまさえおねえちゃんからしっかり叱られましたね。

 朝食が終わったら、お皿洗いは中学生のお仕事です。2人の皿洗い当番で、100人分の食器を洗ってくれました。手がふやけて腰が痛くなったでしょう?ご苦労さまでした。

 そのあとは1時間の“糖尿病教室”です。今年は、中学生の数名と高校生に担当してもらいました。キャンプが始まる前から、彼らは一生懸命勉強して、自分たちで資料も作っていました。自分より年下の子たちにわかりやすいように黒板に書いたり、マンガ風にしたり、ずいぶん工夫をした様子がよくわかりました。皆が理解したかどうかは別にして、本当によくがんばってくれました。ありがとう。

 糖尿病教室が終わったら、毎日いろいろな行事が目白押しです。クッキーつくり、旗つくり、運動会、ハイキング、バーベキュー、山登り、ディスコ大会、
フリーの時間には、プールに入ったり、体育館でドッチボールをしたり、お話したり。。。
お風呂のことはここでは内緒にしておきましょう。
山登りは台風で延期になり、足場もとても悪かったですが、幼稚園年長の男の子も、山頂までも登ることができました。皆達成感に満ちた顔をしていました。それぞれの場面で、子供たちはたくさんの思い出を作ったようです。

 高校生は、毎晩遅くまで“洗濯当番”として39人の子供たちの洗濯をしてくれました。
「早く寝なさい。」と叱られても話したいことがあったのか、夜遅くまで話し込んでいました。いっぱいいっぱい悩んで、成長していっているようです。

 最後の夜のキャンプファイヤー。一人ひとりの言葉の中で、「皆と別れたくない。あと1週間、キャンプをしてほしいです。」と小学生の男の子。8日間ですっかり家族になってしまいました。

「一番大切なのは、この8日間で学んだことをこれからおうちに帰った時に、きちんと生かせるように。それから悩んだときは、ここで作ったお友達やヘルパーに相談するように。皆、家族でつながっているのだから。」
1年後に心も体も大きくなった姿を見せてくださいね!

 ヘルパーの皆、何ヶ月も前から時間と労力をたくさん使って準備してありがとう。子供たちを楽しませるため、そしてこどもたちに事故や怪我がないように十分に気遣ってくれました。キャンプができるのはヘルパーの努力のおかげです。本当にありがとう!
 栄養士さんの卵たち、福岡のキャンプの食事は日本一美味しいです。キャンプでの皆の元気の源です。ほとんど寝る時間もなく朝から晩まで台所に立って美味しい食事を作ってくれてありがとう!
 最後に、おじいちゃん、38回も8日間のキャンプを続けられるのはその頑固さからあるからでしょうね。大変感謝しています。お体大切にしてずっとずっと居座っていてください。

「私に人生と言えるものがあるなら、あなたと過ごしたあの夏の日々。。。」

今日は夕立のあと、綺麗な虹がかかっていました。そろそろ夏も終わりです。

雨と風のマラソン大会 2006.05.13

院長メッセージ
2006年05月13日

まだ肌寒い3月中旬、少しお休みをいただいてBig Island(ハワイ島)に行ってきました。世界で一番綺麗な景色を満喫できるという“ヒロマラソン”に参加するためです。

ヒロという街はハワイ島の東に位置し、開拓の歴史のある街と聞いていましたが、実際は雨が多いためか、緑がとても綺麗な静かな街で、リゾート地として発展している西のコナとは対照的でした。 

今回はマラソンと言うよりむしろ景色を楽しみたかったのです。渓谷や滝などの綺麗な景色を期待していましたが、マラソン前夜から大雨。雨と風の中、15分遅れて始まったマラソンは、参加者200人程度。2万8千人のホノルルマラソンと比べると本当に小さな小さなマラソン大会で、地元の参加者が多く日本人や海外の参加者はわずかでした。  

朝6時過ぎ真っ暗な中、ピストルの音も花火もない静かなスタートでした。雨のためかとても寒く、かぶったビニールを脱げません。ずぶ濡れで、水溜りと言うよりも小川の中を走っている状態が続きます。始めの10kmくらいは、森林の中のアップダウンの激しい道でした。顔を上げると雨が目に入りそうで、周囲の景色を見る余裕もありませんでした。時々小雨になった時、周りを見ても“滝”なのか、雨による“濁流”なのかわからない状態でした。参加者も少ないので、前後のランナーとの距離もだんだん遠くなってきました。それでも、3~4km毎に地元のボランティアの子ども達が、水やスポーツドリンクを配ってくれたり、「Keep it up!」とか「Good Job!」と応援してくれました。地元の警察官の方もわずかな参加者のために交通整理をしてくれていました。雨の中、私達のためにじっと立っているほうがずっと大変だったと思います。ハーフを過ぎたところで、ようやく一緒に参加した仲間とすれ違いました。悪天候の中、お互いかなり疲れた顔でしたが、数時間ぶりに会えた喜びは大きく、ここでまた元気をもらいました。 

長い長い海岸線は、お天気だったらさぞ綺麗だろうと思いながら、ようやくゴールが近づいてきましたが、その時またスコールのような雨。ゴールした時は涙と雨が入り混じっていましたが、「こんな苛酷な条件でも完走できた!」という喜びもまたひとしおでした。 

5回目のフルマラソンは予測もしていなかった悪天候でしたが、“雨と風のマラソン大会”もそう経験できるものではないでしょう。貴重な貴重な体験でした。

Big Island(ハワイ島) キラウエア火山 2006.05.13

院長メッセージ
2006年05月13日

雨風の中、フルマラソンを完走した私達4人はまだまだ元気が残っていました。わずか3日間のハワイ島を満喫するため、その日の午後は、早速レンタカーでハワイボルケーノズ国立公園の“キラウエア火山”をめざしました。 

キラウエア火山は、Big Islandのシンボルで、古代から今もなお噴火を繰り返している活火山です。火口に沿う車道に車を止めて、うねりの跡を残すデコボコした溶岩の間から湧き上がる蒸気の熱を感じ、筋肉痛の足を引きずりながら火口近くまでゆっくり近づいていきました。すると目の前には巨大なクレーターがぽっかりと大きな口をあけたように残されていました。目の前に広がる壮大な風景に圧倒されたのと同時に、キラウエアのエネルギーを、温かい大地から自分の足で感じることができた不思議な体験でした。 

このキラウエアには、“ペレ”という火の女神が存在するという伝説があります。ハワイの人は、火山の爆発を“ペレの怒り”と表現するそうです。そしてここの溶岩を持って帰ると祟りおきるそうです。この島の自然が汚されていないのは、きっと“ペレ”が守ってくれているからだと感じました。 
神聖な思いを残して、私達は静かにキラウエアを後にしました。

Big Island(ハワイ島) マウナ・ケア 2006.05.13

院長メッセージ
2006年05月13日

翌朝、まぶしい日差しで目を覚ましました。
全身の筋肉痛で思うように体が動きません。それでも何とか起き上がってカーテンを明けると、そこには昨日の雨空とは打って変わって、真っ青な空、雄大な海、トロピカルグリーンの景色が広がっていました。 “これぞハワイ!”と言う景色に思わず「キレ―イ!」という歓声を上げました。その声に驚いた皆が目を覚ましました。 

晴れ渡った青空に吸い込まれるように、早速その日の目的地のマウナ・ケアへ向けて、レンタカーでまずはワイメアの街を目指しました。 

ワイメアという街でツアーのジープに乗り換え、そこから4205mのマウナ・ケアをめざして出発しました。途中、裾野に広がる大草原や、牧場の馬や牛達を眺めながら、少しずつ高度が上がっていきました。高山病を防ぐために、標高2800mにある“オニヅカビジターセンター”で休憩をとり、再び出発。ここですでに酸素は地上の80%、気温も10℃位に下がり寒く感じました。夕暮れ迫る頃にあわせて、ジープは山頂に近づき、あたりは真っ白な雪景色に変わっていきました。「ここは本当にハワイ?」と思わせるほどの寒さと雪景色です。そこには日本国立天文台の“すばる望遠鏡”を始め、各国の天体観測体がありました。 

いよいよ4205mの山頂に着き車を降りると、目の前には一面に真っ白な雲海が広がり、その中にまさにオレンジ色の太陽が沈もうとしていたところでした。キーンと張り詰めた空気と自然が作り出した絶景、刻一刻と沈んでいく太陽に見惚れて言葉が出ませんでした。 
すっかり日が沈むと気温も氷点下に下がり、寒さで体が凍えてきました。車で少し下って今度は星空観測です。雲の上から見る闇夜のスクリーンには、満点の星がちりばめられています。生まれて初めてこんなにたくさんの星を見ました。何千年も前からある星や生まれたばかりの星、火星、土星、そして天の川もはっきりとわかりました。ゆっくりと動いている星?それは初めて肉眼でみた人工衛星でした。この果てしない大宇宙に存在するちっぽけな私。。。考えると不思議な気分になりました。満点の星空をしっかり目に焼き付けて、ハワイ島最後の夜とお別れをしました。 

こんなに素晴らしい景色がこの宇宙に存在すること、それを見ることができたこと、そして生きていることへの感謝の気持ちでいっぱいになりました。この島には本当に神様が宿っているに違いありません。こんな素晴らしい自然を私たち人間の手で汚しては絶対にいけないと思いました。 
大自然と神秘のエネルギーをいっぱいいただいた、とっても楽しい3泊5日の旅でした。 
大事な時間を一緒に過ごしてくれた大好きな仲間にありがとう! Mahalo!

国際糖尿病支援基金 2006.04.03

院長メッセージ
2006年04月03日

3月に、宇都宮で行われた“小児ヤング糖尿病セミナー”に参加してきました。

 講師は、“森田 繰織さん”。彼女は私と同じ1型糖尿病で、現在は社会人としてお勤めをしながら“国際糖尿病支援基金”の会長もされています。数年前に彼女と知り合って、3年前に、パリで行われた国際糖尿病学会(IDF)の時に初めてお会いしました。とても素敵な女性です。彼女との再会を楽しみに宇都宮に行きました。

 彼女は15歳で1型糖尿病を発症して、高校生の頃は修学旅行にさえも参加できなかったそうですが、今ではインスリンをしながら40カ国もの国々を旅しています。さまざまな国の糖尿病患者さんと接するうちに、世の中には同じ糖尿病患者でありながら、充分な治療を受けることも出来ず、悲惨な人生を送る人がいかに多くいることかと、驚きとともに悲しい気持ちにさせられたそうです。日本人が、いかに恵まれた医療を受けていることかと思い、その後同じ糖尿病に苦しむ人たちに対し何か出来ることはないだろうか考えられたそうです。その頃、開発途上国の恵まれない糖尿病患者に、インスリンや血糖測定機などを送る支援活動(INSULIN FOR LIFE)や、インドで1型糖尿病の子供たちをサポートしているDream Trustの活動も知り、日本で“国際糖尿病支援基金”( http://202.238.86.111/idaf/)を設立されたのです。彼女の行動には、ただ敬服するばかりです。

 森田さんからのメッセージです。
「この基金のことを知った人が一人でも私と同じような気持ちになり、行動する仲間になってくれることを祈っています。私たちの小さな一歩が、世界のどこかで糖尿病の患者さんの命を助け、人生を豊かにすることに役立ちます。是非一緒にこの基金の活動に参加して頂けるようお願いいたします。」

 彼女の勇気ある一歩が、多くの人の心を動かしています。私もその中の一人です。
 4年前にインドの1型糖尿病の女の子の支援をはじめました。毎年、主治医のSherad先生から、写真とお礼の手紙が送られてきます。今は9才になり、すくすくと成長している写真を見るのがとても楽しみです。
 
 “Thank You! Aunt Masae.”
      =(まさえおばちゃん、ありがとう)
 まだ英語もおぼつかないインドの女の子からのお礼状と写真は、私をちょっぴり幸せな気分にさせてくれます。
 元気で明るく健やかに育って欲しいと、遠い空から祈っています。

素敵な試練 2006.03.27

院長メッセージ
2006年03月27日

2月に金沢で行われた“糖尿病学の進歩”という学会で発表をしてきました。まだまだ寒く、雪の舞う金沢でした。
 金沢はこれまで何度か訪れたことがありますが、どことなく静かで、日本の古い歴史を感じさせてくれます。華やかな京都にはない、“品”のあるこの街が大好きです。

7年前に、金沢から1型糖尿病の50歳代の患者さんがクリニックに来られました。発症したばかりでたくさんの不安を抱えておられましたが、私と話をして随分気が楽になったと言ってくださいました。その後は、趣味の登山を楽しまれ、年に数回“山行記録”を送ってくださいます。忙しいお仕事の合間に、上高地やアルプスをはじめとする3000m以上の山々を山の仲間と一緒に楽しんでおられます。最近ではすっかり“パン職人”の技を磨いておられました。

数年ぶりに金沢でその方とお会いしました。糖尿病も上手くコントロールされ、すっかりお元気そうで、当日の朝に焼いていただいた美味しいパンをたくさんいただきました。

 帰ってお礼のお手紙をいただきました。
「糖尿病にならなければ夜の散歩もなくゴーシュも南さんとも出会わなかったと思います。神に与えられた運命なら素敵な試練なのかと思います。」

 私も糖尿病にならなければ、こんな素敵な出会いを経験することもなかったと思います。
神様から与えられた“素敵な試練”に感謝します。

*ゴーシュ:金沢東山にある素敵な喫茶店です。
      私もお気に入りです。

1 〜 10件

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